古/いにしえの面影       其の弐百九十九

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2006年03月01日 水曜日
浪速区 軍艦アパート
市営下寺住宅は満州事変のあった昭和6年(1931)に
完成し大阪市が30年代に浪速区内に造った
近代的アパートの3つの内の一つだそうです。
(南日東アパート01年壊、北日東アパート02年壊)

名前の由来は、屋上に設置された、
かまど用の煙突からだそうで〜

鉄筋3階建ての8棟から成り、
水洗トイレやダストシュートが当初から完備で…
当時は『堂々たるモダニズム』と新聞にも報じられたそうです。


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

朝日新聞にて'06年2月末で全員引越し
'06年度中には取り壊すと聞き〜
雨の中傘も差さずに〜

前に怪親爺の輪っぱの会で来たのですわ〜
でも、その時には生活の息吹が
溢れていましたがね。。

※1階の屋根に生えたるカランは何??

階段の窓枠が〜
苔生した庇が…
時を感じさせられます。

※張り紙〜悲しいなぁ。。
(日東住宅は昔の軍艦アパート僚艦)

新聞によれば4.5+3.0畳の居間に
台所、トイレの2K(風呂無し)だそうで〜
現在の家賃が月¥200〜300台だったそうです。。

※『出家』と呼ばれるベランダに1〜2畳の
部屋を増築している世帯も多かったそうで〜


昔の給水〜ポンプ跡も有りましたよ。。
現役では無いでしょうが〜


芸術的な出家の風景〜

※路地にも出家が・・・

本来のコンクリートが判らない〜

※未だ、引越しのための
荷物整理をされていた方も…

3階の階段に振り分けで6世帯分のポストと
パイロンの横はダストシュート。。

※前には此処にも子供の声が
聞こえていたんですがね〜
大阪大空襲にも焼失を免れたが〜
市は取り壊す前に学術調査に入り
棟の配置や部屋の間取りを記録保存するとか。。

変わるものと変わらんもの〜
いつまで知った景色があるのやら。。
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.